令和拾遺物語

実話を元にした現代の拾遺物語です

肘が壊れた

納豆が大好きな男の話。

 

キンゾーさんという職人がいた。年齢65歳、I県はM市在住でとにかく納豆を愛しているそう。「納豆のおかげで私はここまで病気もせずに生きてこられた」と言うほど、とにかく納豆を食べまくっているそうである。混ぜ方にもこだわりを持ち、「納豆は混ぜられたがっている、混ぜれば混ぜるほどうまくなる」との信念に従い、左右に百回、時々上下に動かしたり、一度上げた粒を空中で旋回させたりしていた。本人曰く、こうやって空気を含ませることで風味が増す、とのこと。初めて訪れた話題のラーメン屋の大将が厨房で魅せた天空落としにインスパイアされ、「あれは使える」と早速天空落としもレパートリーに加えられた。

 

そしてついにその日はやってきた。ある朝いつものように納豆を混ぜていると、「ピュアイッィ!!」と叫び、肘を抱えてうずくまった。45年間、20歳で婿養子としてここへ来てから毎日全力で納豆をかき混ぜ、毎朝、いや多い時は一日三食、アホみたいに酷使され続けたキンゾーさんの右肘がついに悲鳴を上げたのだった。それでキンゾーさんは結構焦った。

 

「ぴえん。もう納豆食えないかも」

 

それから試行錯誤の日々が始まった。左手で混ぜる、ロキソニン飲む、ゼビオで買ってきた野球肘用のサポーターを装着、などを試したがあまり効果はみられなかった。整骨院で診てらっても安静にしているしかないと突き放され、「マジやべえ」と思ったキンゾーさんは生まれて初めて妻に頭を下げた。「ちょっとこれ、混ぜてくんねーけ?」しかしそもそも納豆のにおいが苦手な奥さんはこれを拒否。お手上げ状態となったキンゾーさんはついに一線を越えた。パティシエの息子が持っているハンドミキサーをガサゴソと台所の棚から引っ張り出し、納豆をボウルに移してから「ヴィイイイイイン!!!!!」と混ぜると、メレンゲ的なものができたそうだ。そこへ息子が帰宅。

 

「親父何やってんの?」

 

キンゾーさんはことの経緯を説明。深刻そうにしている父親をほっとけず、パティシエの息子は解決策を進言した。

 

パティシエ・パティシエールが厨房でカスタードクリームを仕込む時、多い時では合計6キロにも及ぶ牛乳、グラニュー、バニラ、専用小麦などをMaxの火力と共に焦がさないよう全力で混ぜないといけない。少しでも「当てて」しまうとシェフに死ぬほど怒られる。だから焦がさないように両手をローテさせ、片手を休ませながらかき混ぜるんだそう。しかしキンゾーさんは「左手はもう試した」、と落胆しながら答えた。

 

「初めは利き手じゃないんだから誰だってうまくできないさ。けどみんな怒られたくないから必死で左手を使うんだ。そのうちに不思議と神経が繋がってきて、むしろ左手の方が速いっていうか、やりやすくなったりするもんだよ」と息子は言った。キンゾーさんは少し希望を持ったトーンで、「そうか」、と答えた。

 

 

それからキンゾーさんはテーブル上のメレンゲ的な真っ白い納豆を一瞥し、「せっかくだしこれでケーキでも焼いてみたら?」と息子に提案した。すると息子は確かにヘルシーだし、女性に人気が出るかもしれないと思い、夜な夜なシナモンだとかラムだとかを混ぜて焼いてみたが、めっっっちゃ臭い足の裏みたいな悪臭が充満したため翌日は臨時休業になった。

 

キンゾーさんの左手は日に日に上達し、またおいしく納豆が食べられるようになったと幸せそうだ。