令和拾遺物語

実話を元にした現代の拾遺物語です

歌舞伎町に響いたラ・マルセイエーズ

とある高校の送別会の話。

 

父親がフランス人、母親が日本人のティエリという高校生がいた。顔つきは父親譲りで完全にフランス人だが、日本生まれ日本育ちの彼は一切フランス語を話せないらしい。その父親はいわゆる典型的フランス人ではなく、例えW杯でイギリスに負けても「あーあ負けちゃった」くらいの温度感で済む人だった。

 

そんな一家はティエリの卒業を機に一時フランスへ帰国し、ティエリはその後ジュネーブで働くかも、と言っていた。そこで卒業式が終わったら送別会を開こうということになった。何か思い出に残るようないいプレゼントはないかな?と仲良しグループ5人で会議を開き、あーでもないこーでもないとわちゃわちゃしていると、一人の生徒が「フランス国歌を皆で歌うってのはどう?」と言った。ティエリは生まれもスピリットも完全に日本人だったが、顔つきが完全にフランス人なので、なんとなく、直感的に絶対喜んでくれるだろうと皆思った。

 

それからは毎日夜な夜な音楽室に集まってはラ・マルセイエーズを練習した。初めは何を言っているのか全く分からなかったので、ユーチューブで何度も聞いてはカタカナに翻訳した。

アロンッソンフンッドゥーラアパッテェリーィエルンデッショッデグワーレータァリベー

などと書き、もう書き起こすのめんどくせーから一番だけでいいべ、ってんでそれからも必死に練習した。

 

送別会当日。歌舞伎町で飯を食い終わり、そろそろお別れモードになってきた。

日本に帰ってきたら絶対連絡しろよ、スカイプやってる?まあまた会えるべ、的なやり取りが終わると、ティエリ、俺たちの気持ちを聞いてくれ!と一人が言い、せーのっと言うとフランス国歌の大合唱が始まった。

一人一人が腹の底から声を出し、連帯感も手伝ってテンションは爆上がり、通行人は好奇心から彼らを凝視していた。何かのイベントだと思って動画を撮り始める人が現れるなどして空気感が半端ないことになってきた時、まさかの日本旅行に来ていたガチフランス人が乱入。制服を着た男達が我が国の国家を盛大に歌っておる!ってんで、サビに入った瞬間、バスティーユ牢獄へと突っ込むパリの民衆のような大合唱となった。

 

オッソールマシッツマエーン!ホッロベーホパッタヨーン!マッラショーン!マッラショーン!カーソアックール!ハッバラーカロォシヨーン!

 

予想外の同盟を結んだジャパニーズ高校生と旅行客の連盟隊はハイタッチしたりハグし合ったりとしばらく大騒ぎは続いた。

ティエリはフランス人に、フランス語で(なんでお前は歌わないの?)などと詰められる場面もあったが、「えなんて?」と言って切り抜けた。

生徒達は、いやーやばかったな!マジやっべー!最高じゃね!?やばくね!?などと革命を成し遂げたようなテンションで清々しくティエリに近づき、どうだった?的な爽やかな表情でリアクションを待っていると、「いやーめっちゃカッコよかったわ!だれの歌!?」と言ったそうである。