令和拾遺物語

実話を元にした現代の拾遺物語です

平家の末裔

五月になると鯉のぼりが昇り始める。色とりどりの鯉が宙を優雅に遊泳し、晴れた空によく映える。

 

さて、五月に入り鯉のぼりを見かけると、自分は平家の末裔であると名乗りだす平さんという男がいた。鯉のぼりになぜか敏感に反応し、「私は平家の末裔なんですよ」と、会社内や取引先などでもリアクションに困る発言を毎年繰り返していた。

 

平さんは子供の頃に、「大人になっても鯉のぼりをあげてはいけないよ」と祖父や両親からきつく釘を刺されていたらしい。子供だった彼は訳が分からなかったが、とにかく「はい」と言ってそれを心に留めた。

 

ある日、平さんは旅行で日光温泉を訪れた。そこで平家の落人伝説という看板書きを目にした。仲間に存在を知らせるために狼煙をあげたところ源氏に見つかってしまい、そこにいた者は全員殺されてしまったのだと記されていた。だから自分の存在を大きく知らせる狼煙や煙の類は禁止され、鯉のぼりもその一つであることを知った。

 

そこで平さんは、「やべえ、俺の先祖、平清盛かも」とテンションが上がってしまったらしい。

 

その日を境に「私は平家の末裔なんですよ」が始まった。ある年の社員旅行は鎌倉旅行だったのを、そこそこの肩書と権力を活かして京都旅行へと変更してしまい、現地へ到着後、舞妓さんなどに「私は平家の末裔だからあなたとは親戚の可能性がありますね」などと言って苦笑いされたり、飲み会では歴史好きの部長に源氏の悪口をえんえんと垂れ流し、「しかし義経は敵ながらあっぱれ!あそこまでされては尊敬の念を禁じ得ない!」と叫び散らし、酔った勢いで「義経チャレンジ」などと称して山の急斜面をママチャリで滑走し鎖骨を折るなど、少しずつ周りから煙たがられ始めていた。

 

ある日歴史好きな部長が朝の会議で義経を引き合いに出し、「新規開拓営業は先手必勝、源義経が一の谷の戦いで鴨越を駆け下ったように、誰よりも早く奇襲を仕掛けるべきである!」と演説したのを真に受け勘違いした翌日、明け方のまだ薄暗いうちから新規開拓先へ突撃。「鍵が開いていなくて奇襲できなかった」と落ち込んでいた。

男子三日会わざれば刮目してみよ

中田という男がいた。彼は大学時代サッカーサークルに所属し、試合でもそこそこの存在感を見せていた。

 

少し変わっていたのは、中田は飲み会で水しか飲まなかった。なぜかは分からない。彼は頑なに水を飲みたがり、「すいません、水ください」と、全員がビールを頼む場面でもとにかく水に強いこだわりを持っていた。

さらに変わっていたのは、彼は飲み会の最中、とにかくひっきりなしに水を飲み続け、吐き続けていたことだ。「すいません、水をください」と店員に頼んではそれを一気飲みし、「うぇえ!」と言ってはゲロを吐き、「うう、気持ち悪い、すいません水をください」と言っては飲み、吐きを繰り返していた。それを見ていた橋本という男は、彼はもしかして摂食障害なのでは?と思った。世の中にはいろいろな疾患があり、水中毒というものも存在する。しかし結局最後まで彼が水を飲み続けていた理由は分からず、卒業式を迎えた。

 

28歳になった営業マンの橋本は、夏の突き刺すような暑さの中、自動販売機で買った水を一気飲みしていた。そこで「あっ」と、あの時飲み会で頑なに水を飲んでいた中田を思い出した。「元気かな、あいつ。」橋本はポケットからスマホを出し、中田へ久しぶりに電話をかけた。

「おー久しぶり、元気だよ」と第一声中田は言った。さらに続けて、「実は今成田空港にいるんだ」と言った。彼はどうしてもサッカー選手になる夢を諦めきれず、三年かけてせっかく受かった公務員を辞め、まさに今から海外へトライアウトを受けに行くというタイミングだった。

 

後に彼は無事合格し、実際にプロサッカー選手として海外でプレーしたと聞いた。いい成績を残せたのかどうかは知らない。しかし彼は子供のころからの夢を叶えたのだ。

 

さらに中田は帰国後、障碍のある子供たちのためにサッカーチームを作り、運営を始めた。

 

「簡単に諦めちゃだめだ、夢は叶うんだよ。やればできるんだよ」

 

そう子供に語り掛ける彼の背中には説得力がある。

ライバル

とある競技全日本優勝、同競技日本記録保持、オリンピック元日本代表と輝かしい成績を残した人物がいる。中学時代にはすでに頭角を現し、その界隈では伝説と称されるアスリートである。しかしその影には、全国制覇を三度も阻止された準優勝の男がいた。身体能力の高さでは誰もがこの二位の男の方が上だと認めているにも関わらず、試合となると必ず負けてしまう。負けた本人は納得がいかず、引退後もずっともやもやしていたという。

 

そんな彼はある日、愛読書、「ワンピース」のあるシーンに感化された。ゾロが鷹の目のミホークに弟子入りするシーンである。「宿敵に弟子入りするなんてすげーな」と思っていると、「あっ」と気づいた。

 

「俺もあいつに弟子入りすれば、なぜ全国制覇を三度も阻まれたのかを知ることができるかもしれない。」

 

その後本人に電話でお願いすると、「全然いいよー。」と一瞬で快諾され、翌日には彼の住む西日本の端へと早速旅立った。

 

現地へ到着後、泥だらけの作業着を着た男が軽トラックから降りてきた。なんでも今は林業家になり、山仕事をしているらしい。林業はやればやるだけ儲かるのだという。化け物みたいな体力を要する彼にはこれほどの天職はない。

 

翌日、早速刈り払い機を借りて一緒に山へ入った。

「じゃあここからあの辺までおねがいねー」とよくわからない指示を出したあと、チャンピオンはすぐに山の向こう側まで消えてしまい、ブオーンブオーン!と下刈りの音だけが響くばかりだった。

 

それからも毎日毎日山へ通い、「お願いねー」と言い残すと彼はとっととどこかへ消えた。とにかくあり得ないスピードで彼は草を刈っていた。聞けば一日五反ほど一人で刈るのだそう。一反とは畑一枚の略称である。一人で一日二反も刈れれば一人前だと聞く。彼はその倍以上の面積をすさまじいスピードで刈り続けていた。

二位男も次第に慣れてきて、周囲を観察する余裕が出てきた。それでチャンピオンをしばらく眺めることにした。

チャンピオンは歯の大きさを完璧に理解し、一振り、二振りと、ロボットのような正確さとリーチで広範囲を開拓していた。最も特徴的だったのは、頻繁に動きを止め、歯を研ぐ機会が二位男の何倍も多いことだった。そこで二位男はあることを思い出した。確かリンカーンの本か何かで読んだ言葉だ。

「もし8時間木を切るための時間が与えられるなら、私は6時間オノを磨ぐ時間に費やすだろう」

二位男は気になって本人に「リンカーンの本読んだ?」と聞いた。するとチャンピオンは「誰それ?」と答えたのだった。

 

ある日二位男がいつものように草を刈っていると、「もう少し重心を下げて体重を右にかけてごらん」とチャンピオンは言った。「その方が力逃げないでしょ」と。

それから一時間くらい草刈りフォーム習得の練習会が始まった。それは現役時代、常に基本を繰り返し、フォームチェックをかかさなかったチャンピオンの姿と完璧にシンクロした。

 

それから二位男もかなり上達し、結構速くなった。もともと身体能力はチャンピオンより高いこともあり、それなりのスピードで追いかけることができるようになった。

するとチャンピオンは、「ふぅん、結構やるじゃん」と言ってさらにスピードを上げた。二位男も負けじとついていく。するとチャンピオンはさらにスピードを上げる。そこで二位男は「ハッ」とした。「なんだこいつ、なんか、ガキみたいだな。」

 

ある夜、餃子の食べ放題へ行った。二位男は結構食べる方なので、そこそこの量を胃袋に収めていた。するとチャンピオンは、「いくつ食べた?」と聞き、「分からんけど30個くらいかな」と答えると、「僕は40個」とドヤ顔をした。

「あ」と二位男は思った。「こいつ、なんでもかんでも人より上じゃないと気が済まないんじゃないか」

 

毎日毎日刈っているので二位男もかなりのスピードで刈れるようになってきた。ある日チャンピオンが用事で一日休むというので、二位男が代わりに刈っていた。それなりに刈り終わり、まあこんなもんだろと満足して帰宅し、次の日チャンピオンが現場をチェックすると、「こんなもんしか終わってないの?」と言った。二位男はイラついて仕事を放棄し速攻で帰った。なんとなくわかってきた。なぜ自分が負けたのか。

 

ある日チャンピオンの地元で合宿が開かれることになり、オリンピック選手や現日本記録保持者が集まってきた。いい機会だからと二位男も参加し、見学していた。

 

そこでなぜかテニスボールの投げ合いが始まり、いつに間にか誰が一番遠くまでテニスボールを投げられるか大会みたいなのが始まった。流れで二位男も参加することになったが、勝ち負けよりも観察に力を入れることにした。

彼らはこんな取るに足りないような遊びでも、世界大会の決勝みたいなオーラで対決し合っている。勝つまでやめない。こんな遊びでも、彼らは自分が勝つまでは決してやめようとしない。負ければ子供みたいに悔しがり、もう一回やろうと言って、全力で勝利を手に入れようとする。そのテニスボールの投げ合いはずっと続いた。

 

二位男はなぜ負けたのかを完璧に理解し、地元へと帰った。

トライエブリシング

ある変態中学生が好きな子の体操着のにおいを嗅いでいるところを見つかってしまった。放課後になると学校へ忍び込み、夜な夜なロッカーを漁っていたらしい。それを見つけた正義感の強い生徒が、「お前そういうダセーことやってんじゃねーよ。好きなら好きって本人に言えよ」と叱った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

告ったら付き合ったそうです。

草野球チームでセンターを守る保守派

保守派思想の後輩の話。

 

元々真面目な奴だったが高校へ進学した頃から学校、家庭、世の中への不満が高まるばかりで非行へ走り出し、ぐちゃぐちゃした気持ちのまま高校を退学後、暴走族へ入った。

手先の器用だった彼は原付の改造にハマり、日に日に高くなるハンドルは限界を突破。常にバンザイ状態をキープせざるを得ず、バーベルを上げ終わったスナッチのようなフォームでバイクを運転していた。彼曰く、二段階右折に難儀するそうだ。

 

後輩は特にやることもなく鬱々と毎日を過ごしていたが、久しぶりに電話すると、最近草野球チームに入れてもらって生活にメリハリが出来て充実してます!というので先輩も安心した。一つ懸念があるとすれば、そのチームはかなり保守的思想のプレイヤーが多く、根が素直な後輩はやはりその思想に染まっていった。

 

その野球チームはいわば万年弱小だった。聞けば結成以来一度も勝ったことがないのだという。そんなことはあり得ないだろうと言う先輩に、「いやまじなんすよねこれが」と後輩は言った。

理由を聞くと誰もレフトをやりたがらず、常に左がガラ空きなんだそうだ。相手も馬鹿じゃないから集中的にそこを狙い打ちしてくる。後輩はセンターを任されているので必然的にレフトも兼ねることになり、ポジション取りも気持ち右寄りだったのでめちゃくちゃ走った。ついたあだ名は陸上部だそうだ。

「じゃあ八人チームなんだ?」と聞いたら、「いや、ライトに二人っすね」と後輩は答えた。時々酒が入ると全員ライトにいることがあり、度々相手チームからクレームが入るらしい。

一度チーム内でサフトという独自のポジションを作ったらどうだろう?という案が出たが、サードのよっさんが「疲れるから嫌だよ」と断って白紙になった。

それならセンターから少し左に寄れば?と提案すると、「いやぁ、うす、うす」と言いながらにやにや笑い、国旗を挿した原付に乗ってバンザイしながら帰って行った。少し先の信号で止まり、頑張って二段階右折をしていた。

故郷

日本で働く外国人の方が、職場で働く先輩の親族が亡くなったというので、初めてお葬式に参列することになった。なぜそんな遠いご縁のお葬式に参列するのかといえば、その先輩は非常に面倒見がよく、なんでも相談に乗ってくれる優しい人だから、とのこと。先輩が悲しんでいる姿を見ているのがつらくなり、「私も行きます」と名乗り出てくれたそう。先輩は断ろうと思ったがその気持ちが嬉しく、「ありがとう」と言って日時を伝えた。

 

当日。彼は礼服に身を包み、現地へ到着して先輩にお悔やみを述べた。遺族ともども彼に感謝を伝え、わざわざご参列くださりありがとうございます、と恭しく頭を下げた。

 

葬儀は滞りなく進み、スケジュール通りにお焼香が始まった。一人一人が故人への思いを馳せ、お焼香を手に取り額に寄せる、を二度繰り返した後に深くお辞儀した。遺族、親族の方たちは隅の方へ並び、故人を偲んでくださる参列者を畏まっていた。

 

そこへ彼の番がやってきた。いかんせんお葬式が初めての彼は、列に並んでいる時から前方で手を動かしたり頭を下げたり何をやっているんだろう?と思っていた。先輩はその間トイレに行っていて、さて戻ろうとトイレから出るとあの彼が焼香をしてくれているのが見えた。

温かい気持ちになって彼を見ていると、「ごほっ、うっふぉ、ぼふぇっ」、と咳をしているようだった。肩は震え、大きく揺れたような動きをしている。よっぽど泣いているんだろうと後方に並ぶ参列者たちは思っていた。「愛される人だったよなぁ」と。しかし彼の咳は止まらない。心配になった後ろの男が横から覗き込むと、彼はお焼香を食べながら号泣していたそうだ。「おっふ、ごっふぇえ!」などと止まらず、慌てて後ろの参列者がもう大丈夫ですよ、と着席を促した。

 

別室に移動すると食事が始まり、後ろの方で彼が泣いているのを見ていた男が横に座ると、「よっぽど仲良しだったんですね?」と質問した。彼は訳が分からず、「なんで?」と聞き返した。

詳しく聞いてみると、彼の故郷ではとうもろこしの粉末をお湯につけて練ったものが主食で、子供のころお腹が減ってつまみ食いをしようと台所へ忍び込んだ。しかし粉があるばかりで調理法の分からない彼は粉をそのまま食べてしまい、勢いよく吐き出してしまった。それをたまたま台所へ入ってきた家族に見つかってしまい大爆笑された。彼は恥ずかしがったが、大好きな家族がみんな笑顔になったからすごく嬉しかった。それでお焼香を食べて故郷を思い出し、涙が止まらなくなってしまったそうだ。

男子高校生と修学旅行

めっっちゃオナニーしてる男子高校生がいた。していない時間の方が短いかも、と本人が言うくらいとにかくシコりまくっていたらしい。ズリっていない間もちんぽを弄んだり、皮を引っ張ってみたり、玉をムニムニ揉んでみたり、とにかく彼の右手はほとんどの時間を陰茎とともに過ごしているのだそう。

 

夏休みも終わり秋が少しずつ深まるにつれ、彼が最も忌み嫌い、恐れるイベントが近づいてきた。修学旅行である。理由は非常にシンプル。「オナニーできないかもしれない」からである。

彼は頭の中でありとあらゆるシミュレーションをした。夕食の最中に抜け出す。自由行動の合間に公衆トイレ、むしろコンビニ。早朝の大浴場。最後のイメージはついに我慢できなくなった自分がオナニーと共に奇声を上げながら祇園を疾走するといったものだった。

 

一般的な男性なら、ちょろちょろっとしごいて出しちゃえばいいのに、と考えるかもしれない。しかし彼のオナニーに常識は通用しない。

 

その瞬間と気分に調和、シンクロした完璧なおかず、適度に保たれた湿度と温度、それを実現できるレベルの空調設備、艶めかしい雰囲気を醸し出す照明、しかし気取り過ぎもいけない。出来れば月明かりが理想だ。曇天の場合ろうそくを使うこともある。これらが完璧な和合を実現した時に初めて、五臓六腑、臍下丹田、全身を駆け巡る自律神経に快感が駆け巡り、芯からイッたと言える。どれか一つでも欠けてしまえば私はそれをオナニーと認めない。そんな中途半端な射精なら、それはワンカウントに値しないのだ。全細胞の大歓喜、「それが私のマスターベーションなんです。」と彼は言った。

 

結論から言うと彼は旅行先でのパーフェクトオブオナニーを不可能と判断し、辞退を申し出た。担任教師が修学旅行は一生の思い出になるから一緒にいこうと説得すると、「でも京都にはいつでもいけるから。」だそうである。

歌舞伎町に響いたラ・マルセイエーズ

とある高校の送別会の話。

 

父親がフランス人、母親が日本人のティエリという高校生がいた。顔つきは父親譲りで完全にフランス人だが、日本生まれ日本育ちの彼は一切フランス語を話せないらしい。その父親はいわゆる典型的フランス人ではなく、例えW杯でイギリスに負けても「あーあ負けちゃった」くらいの温度感で済む人だった。

 

そんな一家はティエリの卒業を機に一時フランスへ帰国し、ティエリはその後ジュネーブで働くかも、と言っていた。そこで卒業式が終わったら送別会を開こうということになった。何か思い出に残るようないいプレゼントはないかな?と仲良しグループ5人で会議を開き、あーでもないこーでもないとわちゃわちゃしていると、一人の生徒が「フランス国歌を皆で歌うってのはどう?」と言った。ティエリは生まれもスピリットも完全に日本人だったが、顔つきが完全にフランス人なので、なんとなく、直感的に絶対喜んでくれるだろうと皆思った。

 

それからは毎日夜な夜な音楽室に集まってはラ・マルセイエーズを練習した。初めは何を言っているのか全く分からなかったので、ユーチューブで何度も聞いてはカタカナに翻訳した。

アロンッソンフンッドゥーラアパッテェリーィエルンデッショッデグワーレータァリベー

などと書き、もう書き起こすのめんどくせーから一番だけでいいべ、ってんでそれからも必死に練習した。

 

送別会当日。歌舞伎町で飯を食い終わり、そろそろお別れモードになってきた。

日本に帰ってきたら絶対連絡しろよ、スカイプやってる?まあまた会えるべ、的なやり取りが終わると、ティエリ、俺たちの気持ちを聞いてくれ!と一人が言い、せーのっと言うとフランス国歌の大合唱が始まった。

一人一人が腹の底から声を出し、連帯感も手伝ってテンションは爆上がり、通行人は好奇心から彼らを凝視していた。何かのイベントだと思って動画を撮り始める人が現れるなどして空気感が半端ないことになってきた時、まさかの日本旅行に来ていたガチフランス人が乱入。制服を着た男達が我が国の国家を盛大に歌っておる!ってんで、サビに入った瞬間、バスティーユ牢獄へと突っ込むパリの民衆のような大合唱となった。

 

オッソールマシッツマエーン!ホッロベーホパッタヨーン!マッラショーン!マッラショーン!カーソアックール!ハッバラーカロォシヨーン!

 

予想外の同盟を結んだジャパニーズ高校生と旅行客の連盟隊はハイタッチしたりハグし合ったりとしばらく大騒ぎは続いた。

ティエリはフランス人に、フランス語で(なんでお前は歌わないの?)などと詰められる場面もあったが、「えなんて?」と言って切り抜けた。

生徒達は、いやーやばかったな!マジやっべー!最高じゃね!?やばくね!?などと革命を成し遂げたようなテンションで清々しくティエリに近づき、どうだった?的な爽やかな表情でリアクションを待っていると、「いやーめっちゃカッコよかったわ!だれの歌!?」と言ったそうである。

意思を持った中指

ヘヴィメタルバンドのギタリスト、まー君はとにかく女にもてまくっていたが、一つの固い信念を持っていた。本当に愛せる女が見つかるまでは、手マンはいずれにしてもちんぽは挿入しない、との誓いである。彼にどんな過去があるのかを誰も知らないが、とにかくそれを守り続けていた。まー君は現在25歳になるが未だに童貞。しかし手マンした人数は数百人を超えるらしい。「ちんぽは童貞だけど、こいつは16歳で卒業」と言っては中指を突き立て、ファック!というのが彼の口癖だった。

 

 

そんな彼はバンド内で広報担当を任され、SNS発信のためにフェイスブック、インスタ、ツイッターなどを始めた。始めは良く分からなかったがすぐに上達し、昔の友人達のタイムラインにいいねするなどして楽しんでいた。

 

 

ある日適当にフェイスブックを流し見していると、彼はスクロールしていた親指を止め、体を起こして‘友達かも?’を凝視した。

 

元カノである。

 

しかもただの元カノではない。昔一度、人生でたった一度だけちんぽを挿れかけたあの元カノである。

 

 

「人生で最も手マンしたのは彼女です」と彼は言う。

 

 

数あるバンギャと夜を共にしたが、「やべぇ、愛すのかも、俺。」そう思わせた女は彼女が初めてだった。

 

 

旅行好きの彼女は色々な国、カフェ、タピオカなどの写真をアップし、ハワイではロコモコをおいしそうに食べながら満面の笑みでアロハー、マハローなどしていた。懐かしいな、元気そうだな、なんて思いながらさらにスクロールしていくと、今日のホテルはここでーす!的な写真を見つけ、まー君は驚いて顔面をスマホに急接近させた。昔その元カノと訪れたハワイアン66という名前のラブホテルにそっくりだったのだ。

「まじかよ、似すぎじゃないこれ?」と思ったが、ハワイアン66を作った支配人はおそらく実際にハワイを訪れ、素敵な部屋に感動して写真を撮り、それを日本で真似して造ったのかな、と思った。彼は懐かしさのあまりいいねを押したが、そこで自分の行動に唖然としてしまった。

 

 

 

 

 

中指でスマホをタップしてしまったのである。

 

 

 

 

 

あまりにも手マンしすぎたのか、それともハワイアン66の記憶が無意識的に蘇ったのか、それは分からない。

 

「強い恐怖を感じました」そう彼は語った。

 

元々彼はプロギタリストであり、指使いを間違えることなどどんな状況にせよ許されない。そういう次元の世界に生きているのである。

「マズいなぁ」とまー君は思った。それからしばらく知恵熱が出る程考え抜いた挙句、なんとか一つの解決策に辿り着いた。

 

「手マンローテーション方式」である。

 

中指だけを使うのではなく時に人差し指、薬指などを使い、曜日ごとにシフトを固定。「あれれ、昨日はどっちだったかな?」ってなるのを防ぐためだ。

せっかくこれだけ速弾きできるんだし、左手もローテーションに加えようかな?と悩んだそうだが、「スピードは申し分ないが、いかんせんパワーが足りない。」と結論付けた。

 

それから彼は時々シフトをミスったりしながらフィンガーローテし、中指事件を乗り越えた。

 

「さすがに小指の手マンはきついんじゃないの?」と質問されると、アロハ~の要領で手首を横に意識して振るなど工夫していて、「まだまだ改善の余地はあります」と日々修繕に努めているそう。

初めてのパスポート申請

親友から海外旅行に誘われた葵はパスポートを取得するため市役所へ出向いた。

 

申請書類を手に入れ早速記入を開始。

 

特に問題はないように見えたが、英語アレルギーの彼女は少し狼狽させられた。

 

パスポートには英語表記欄があり、申請書のほぼ全ての欄に英語様式に沿った記入を義務付けられている。住所を逆から書くなど、記入方式が全然違うのも結構ストレスなんである。

 

そもそも日本で取得するのになんで英語で書かなくちゃいけないの?と葵はちょっとイライラしてきた。Surname, Given name, Date of birth, Place of birth, Name of Company, Business Addressなど、あーもーめんどくせぇ!葵のイライラは次第に募り、もういっそ旅行に行くのやめようかなーとか思いつつ、一度コーヒーでも買って休もうと思い、待合の椅子へ腰かけた。はーもうめんどくさーとコーヒーを口にしながら申請用紙をフワッと眺めると、ある言葉が印象的に視界に入り、はぁ?と思った葵のイライラは頂点に達した。

 

 

 

 

 

 

 

 

Sex: と書いてあったからだ。「あのさ、なんでこんなことまで書かないといけないわけ?」とキレながらも、「何か出国の前に検査とかがあるのかな?」と思い、「週3」と書いて提出したそうだ。

三階から飛び降りた男

とある有名体育大学に入学した男の話。

 

その大学は非常に上下関係が厳しく、その厳しさは体育会系大学の中でもトップクラスらしい。その男は寮に入り、初めての団体生活を開始したが、数ヶ月もすると言動が少しおかしくなり始めた。目が座り、先輩への態度が横柄になるなど、周囲もあいつなんかやばくない?と心配していたそう。

 

ある日その男は夜中にフラフラと起き出し、小さなベランダへ出た。夜中にベランダに出る者など皆無だったので、おかしいと思った先輩は眠い目をこすり窓の外を見た。するとその男は手すりの上に立ち、今にも飛び降りようとしていた。驚いた先輩はオイッ!!と怒鳴り、部屋で寝ていたもう二人も飛び起き、何事かと周囲を見回しベランダに気づくと、オォワッ!!っと変な声が出た。部屋の先輩達はパニック状態となり、飛び降りを止めようと慎重にベランダへ近づいたが時すでに遅し。彼はひょいっと飛び降りてしまった。

 

その後、飛び降りを目撃したと名乗り出る者があった。話を聞くと、飛び降りた後になんなく着地し、走ってどこかへ行ってしまったそうだ。後日談を聞くと、そのまま日本海側にある故郷までランニングで帰郷し、その年の国体に無事出場したそうである。

ある田舎町の駅伝大会

毎年の駅伝大会が恒例行事の田舎町がある。

 

そんなに大きなイベントとは言えないが、地元の消防団、商工会、病院、スポーツジム、学校の先生、中学生の野球部やバレー部など、参加チームはそれなりに多く、適度な緩さも手伝ってそこそこの盛り上がりを見せている。毎年の優勝チームには旅行券が授与されるなど、地元自治体もそれなりの経費を惜しみなく計上していた。

 

しかしどうにもこれがキナ臭いらしい。毎年の優勝は決まって消防団であり、隣町や下手をすれば隣県から健脚者が集められ、チーム編成されていた。要は出来レースというか、中にはやらせなのでは、と疑う人も少なくなかった。今年も隣町の元陸上部などが消防団チームに紛れ込んでいた。

 

さらにこの大会、各チーム名が結構面白いのも特徴的であった。商工会は痛風軍団と自虐したり、消防団は痩せろメロス、他にも地球防衛軍、ナメナメ派大王、地元猟友会はテポドンズなど、用紙の参加チーム一覧を見るだけで結構笑えて、そこかしこでクスクスやっている。

 

その中でもひと際目を引いたのが、

「脱獄犯」

というチームだった。これは地元の中学生チームで、プリズンブレイクだか大脱走だかを観たメンバーの一人が面白がって命名した。しかし名前はふざけているがこのチーム、実は後にチーム全員が駅伝強豪校へ進学し、将来的に全国大会出場へと導いたゴリゴリのエリートチーム。緩いイベントなのでなんとなく現役の陸上部は空気を読んで参加を見送っていたが、毎年の消防団優勝の暴挙に納得がいかない自治体の若手が刺客として送り込んだらしい。

 

ちなみにこの五人衆、この大会前にバットでバレーボールを打って遊んでいたら保健室の窓をぶち割ってしまい、罰として全員坊主頭にされていた。かくして丸坊主の脱獄犯が消防団討伐へと向かったのである。

 

レースが始まると、先導車両に乗ったユージローさんがマイクパフォーマンスで盛り上げるのが毎年恒例だった。ユージローさんは昔東京でDJをやっていた経験があり、マイクの扱いには慣れている。ただ走っているだけではアレなので、マイクで実況するなり盛り上げて欲しいと会長に頼まれ快諾した。

 

「えー元気よく始まりました第31回花沢駅伝大会(仮名)実況は毎度お馴染み私ユージローがお届けいたしますよろしくおねがいします」

 

各チーム一斉に走り出し、先頭はもちろん脱獄犯と消防団である。ちなみに先導車はずっとランナーの先頭を走るわけではなく、各ランナーの横や後ろについて拡声器を使って実況するスタイルだ。

 

 

「えー痛風軍団第1走者は金村さんのっけからくたばりそうです尿酸値は容赦なく上昇中」

 

 

 

「えー痩せろメロス第2走者はアル中の柿沼さんいきなり給水の催促をしているが中身は十中八九焼酎の水割り」

 

 

 

「えー地球防衛軍第3走者は永島さんそんなんで地球を守れると思うなボケナス」

 

 

 

「えーナメナメ派大王第4走者の落合さん最近神の啓示を受けヘブライ語学習を開始」

 

 

 

「えーテポドンズ第5走者高橋さん説得の末父親がついに運転免許を自主返納」

 

 

 

蓋を開けてみれば中学生とはいえ現役の駅伝選手。元陸上部や自衛隊員などをチームに混ぜたところで毎日毎日走りこんでいるアスリートに敵うはずもなく、結局最後から最後まで脱獄犯は断トツで先頭をキープし、逃げ切った。

 

自治会長の機嫌はすこぶる悪かったらしい。なぜなら今年の優勝賞品は奮発して高野山旅行にしていたからだ。消防団を優勝させて自分も行く予定だったのに、脱獄犯に高野山行きを阻止されてしまった。大会終了からしばらくして、丸坊主の脱獄犯5人は高野山へと旅立って行った。

 

その年以降、陸上部は速すぎるのでオープン参加枠になったとのこと。

肘が壊れた

納豆が大好きな男の話。

 

キンゾーさんという職人がいた。年齢65歳、I県はM市在住でとにかく納豆を愛しているそう。「納豆のおかげで私はここまで病気もせずに生きてこられた」と言うほど、とにかく納豆を食べまくっているそうである。混ぜ方にもこだわりを持ち、「納豆は混ぜられたがっている、混ぜれば混ぜるほどうまくなる」との信念に従い、左右に百回、時々上下に動かしたり、一度上げた粒を空中で旋回させたりしていた。本人曰く、こうやって空気を含ませることで風味が増す、とのこと。初めて訪れた話題のラーメン屋の大将が厨房で魅せた天空落としにインスパイアされ、「あれは使える」と早速天空落としもレパートリーに加えられた。

 

そしてついにその日はやってきた。ある朝いつものように納豆を混ぜていると、「ピュアイッィ!!」と叫び、肘を抱えてうずくまった。45年間、20歳で婿養子としてここへ来てから毎日全力で納豆をかき混ぜ、毎朝、いや多い時は一日三食、アホみたいに酷使され続けたキンゾーさんの右肘がついに悲鳴を上げたのだった。それでキンゾーさんは結構焦った。

 

「ぴえん。もう納豆食えないかも」

 

それから試行錯誤の日々が始まった。左手で混ぜる、ロキソニン飲む、ゼビオで買ってきた野球肘用のサポーターを装着、などを試したがあまり効果はみられなかった。整骨院で診てらっても安静にしているしかないと突き放され、「マジやべえ」と思ったキンゾーさんは生まれて初めて妻に頭を下げた。「ちょっとこれ、混ぜてくんねーけ?」しかしそもそも納豆のにおいが苦手な奥さんはこれを拒否。お手上げ状態となったキンゾーさんはついに一線を越えた。パティシエの息子が持っているハンドミキサーをガサゴソと台所の棚から引っ張り出し、納豆をボウルに移してから「ヴィイイイイイン!!!!!」と混ぜると、メレンゲ的なものができたそうだ。そこへ息子が帰宅。

 

「親父何やってんの?」

 

キンゾーさんはことの経緯を説明。深刻そうにしている父親をほっとけず、パティシエの息子は解決策を進言した。

 

パティシエ・パティシエールが厨房でカスタードクリームを仕込む時、多い時では合計6キロにも及ぶ牛乳、グラニュー、バニラ、専用小麦などをMaxの火力と共に焦がさないよう全力で混ぜないといけない。少しでも「当てて」しまうとシェフに死ぬほど怒られる。だから焦がさないように両手をローテさせ、片手を休ませながらかき混ぜるんだそう。しかしキンゾーさんは「左手はもう試した」、と落胆しながら答えた。

 

「初めは利き手じゃないんだから誰だってうまくできないさ。けどみんな怒られたくないから必死で左手を使うんだ。そのうちに不思議と神経が繋がってきて、むしろ左手の方が速いっていうか、やりやすくなったりするもんだよ」と息子は言った。キンゾーさんは少し希望を持ったトーンで、「そうか」、と答えた。

 

 

それからキンゾーさんはテーブル上のメレンゲ的な真っ白い納豆を一瞥し、「せっかくだしこれでケーキでも焼いてみたら?」と息子に提案した。すると息子は確かにヘルシーだし、女性に人気が出るかもしれないと思い、夜な夜なシナモンだとかラムだとかを混ぜて焼いてみたが、めっっっちゃ臭い足の裏みたいな悪臭が充満したため翌日は臨時休業になった。

 

キンゾーさんの左手は日に日に上達し、またおいしく納豆が食べられるようになったと幸せそうだ。